週1のブログです。

最近、人間と意思疎通をはかれるようになりたい、ないしは意思疎通をできているという幻想を得られるようになりたいなあということを、思います。
……そう思うのですが、ただ考えてみると、家族とかとは特段問題なくコミュニケーションをとれていると思うわけで、であればこれは、初対面の相手や距離感(未定義語)の遠い相手とのコミュニケーションのとりかたがわからないということなのかなと考えます。
難しいですね。

幸福になるという大目標のための中期・短期的な方針が不在で、手探りでいろいろやりつつも「別に私は社交的になりたいわけじゃない」という気分になって難しい気持ちになったりと困っていたのですが、とりあえず人とコミュニケーションをとれるようになって、気になったことがあるときに質問したり、話したいことがあるときに話せるようになるところを目標にしてみようかなとここ何日か考えています。友人を増やすとか人と接する機会を増やすといったことを目標にするのではなくて、人と交友できるようになることを目標にする、といった感じです。まあなんとかやっていきましょう。


先日、「めしにしましょう」の3巻を読みました。巻が進むごとにシュールさが増している気がする。煮瀞さんの「私は自我があんまりないんだ」という台詞が楽しかったので、誰か言及しているだろうと思ったら誰も言及していませんでした。なぜですか。


まあそんな感じでした。

はい。

 

うーん、うーん……。

日々に困っています。人生に困っています。

 

どうすれば前に進めればいいのかわからない、という状況と違って、何かすれば状況が動く気がしているのですけど、まあ、だので、何かしなければなりません。むーん。ということで考えています。

 

日々は難しいです。生きるのは面倒です。

はい。


今の会社に移ってから初めての評価面談がありました。
予測と期待に反して、なんかやったらめったらと良い評価をもらい、困惑しました。しかもそれがコミュニケーションとか、職場での立ち振舞い、積極性、率先性を褒められてのもので、なお困惑しました。
その評価理由の具体を聞いてみれば、確かに私はそのように動いていますねという感じだし、それが評価されてしまうのもまあわかります。でもただ怒られたり無能とされたり疎ましく思われることへの不安から、精神をすり減らしビクビクしながらやっていることが、そのように評価されてしまうのはなんとなく複雑な気持ちです。私はもうそんなものの全部から逃げ出したいと思っているのに。

このまま進んでいくと不幸しか待っていないという気がします。本当にそんなものからは逃げ出してしまうか、あるいはそういった不安を感じないようになりたいです。


ここ最近、日々のルーチンが崩れがちで、それに伴ってなのか気力の低下もなかなかに感じます。私の場合、そういった日々ないしは週々のルーチンをこなすことが、気力の維持に大事なのではないかということを最近思っていて、なのでルーチンを取り戻していければなというところです。

 

以上です。

ブログです。
1週間おきに書くつもりが、さっそく先週サボってしまいました。


先月は仕事が忙しく、単純に仕事量が多くて辛い感じでした。
一応一段落はしたものの、この後さらにリリースとかが近づいてくるので、またしばらく忙しいかもしれません。辛い。


ここしばらく、プログラマとして能力もなく勉強する気もない自分がこのまま仕事を続けられるのだろうかという思いがあったのですが、でもとりあえず当面の間はプログラマを続けていくかなというふうに今は思っております。

職場でプログラマとして良い評価をうけても、いつか能力の低さが露呈するのではないかという不安がずっとあって、勉強していけばそれをある程度解消していけるかなあとは思うのですが、あまり継続的に勉強する気は起きず。
中学生や高校生の頃にあったコンピュータへの興味が今ももっと残っていればなーとか、「プログラマとして大成したい」みたいな欲がもっとあれば頑張れたのかなーとか、ぼやぼやと考えていたのですが。
とりあえず、今の不安を解消する目的で必要最低限の勉強をすると割り切って、程々に騙し騙し勉強しながら当面はやっていこうかなという心持ちです。

 

話が変わります。

人に対しておおっぴらにできる「語りたいこと」がある人は強いなーということを思います。
私はメンタル面の薄暗い話ぐらいしか自分の「語りたいこと」を思いつかなくて、でもそれらは「語りたいこと」であると同時に同時においそれと人に見せるものが怖いという感じがあり。
そうするとそういうことは、Twitterのような不特定多数を相手取って言いっ放しでいられる場か、メンタル的な薄暗さを抱えていることが前提とされてるような場でしか、なかなか表に出せず。

それ以外の場でどういうことを話せばいいのか、なかなか難しいなあと感じます。

せっかくアニメ観たり、漫画読んだりしているので、そういうことについて話せばよいのかなあとか思うのですが、実際それらについて会話してみようとしても特に私の中にそれらに対する熱がなく、なかなかうまくいきません。

あるいは冗句のぽんぽん出せる感じであれば、それもよかっただろうになあとかも思います。

難しいですね。

 

まあなんか生きるのは難しいですが日々なんとかやっています。願わくば人生が前に進むことを。

ブログです(そうですね)。

 

最近、人生を前に進めたいと思っていろいろやっています(なんか前向き感のある表現で怖い)。いろいろの詳細は秘密です。

ひとつだけ書くと、なんか生きづらい人が集まる会みたいなのに参加したりしました。ネット上で参加者募集されていたところに参加したので、オフ会ということになるのでしょうか。

生きづらいなあということについて少し会話したりしました。それ自体で人生が前に進んだかというとよくわからないのですが、毎月開催されているのでとりあえずしばらく通ってみようかなと思います。

 

で、いろいろやっていますと書いておいてなんなのですが、だんだんやることがなくなってきました。辛いです。 

私の中には、ずっと人生が停滞ないしは後退しているという感覚があり、でも「いろいろ」をやっていくことでようやく少し前に進めるかと思えてきたところなので、ここでまた停滞してしまうのはできれば避けたいです。

まあなんとかやっていきます。今はなんとかやっていくしかないのでしょう。

 

Twitterのフォロワーとももっと会ってみたりしたいような、したくないようなと思っているのですが。何をすればよいのかよくわからないです。また会ったところで何がどうなるのかもよくわからないです。 

前回の大富豪会のときには某人Aさんや某人Bさん欠席となってしまって残念だったので、またなんか機会作れればいいなと思うのですが、機会ってどう作ればいいんでしょう。どう作ればいいんでしょう。わからないので沈みたい。

そういえば私は、ふぁぼりありしかしたことのない相手といきなりオフ会で会ったりしがちですが(しがちという程してないですが)、オフ会頻繁に開催したりする人たちはそもそもTwitter上で「@」つけて会話して人と仲良くなってたりするんですね、とこの間気が付きました。難しいですね。

 

そんなところです。

ブログ、毎週書くようにしていこうかなと思っているので、来週の私頑張ってください。

 

最近のこと 2

昨日の続きらしきものです。


昨日は仕事についてなんだか気丈な調子で書いてしまったのだけど、実際のところ今すぐ仕事辞めたいし、また病院への期待感もそれほど高くない(と書くと語弊があるだろうか)。

辞めたい、けれど具体的な案として辞めた後どうするかという構想があるわけではない。ただその場から逃げたしたいという感覚が強くある。

せめて日々を耐えるために何か希望が欲しい、ということを思う。たとえば「あとn日経っても仕事に関する精神状況が上向かなければXXXする」(XXXには何か希望を感じる言葉が入る)とか。前だったらこの「XXX」の部分には「転職」という言葉を入れられたのだけど、最近は転職にもあまり希望を持てる感じではなくなってきてしまいました。というかもう、プログラマというものに嫌気が指してきてしまっている。かといってプログラマ以外でしたい仕事があるわけでも特にない。

ひたすら学校のテストを解き続けるような感覚でできる仕事があればいいのに、などと空想しているが、こういうこと書くとぶん殴られるのだろうか。(そういう仕事があれば切実に教えて欲しい)

これについては考えているがまだこれといった方針は立てられていない。


病院については、期待しているというか、していないというか、難しいのだけれど。理性的には、もっとやばくなったら病院を頼るべきだと思っているし、実際病院に行くのだろうけれど、あまりそれでどうにかよくなるイメージが出てこない。いや、別にイメージが出てこないというだけで、だから行かないとかそういうことではないのだけど、でもイメージが湧かない以上、希望としてもあまり機能してくれない。困りましたね。


今後の幸福と他人のこと。

具体的なところは書くのが難しいのですが、私の幸福には他人が必要だということをずっと考えています。他人が必要です。

具体的なところは書くのが難しい。難しい。

でも、でも、なんというか。人と会いたいけど、人と会いたくないというか、どう言い表せばいいのかわかりません。たぶん気を許せる相手が欲しくて、でもそこに至る過程を飛ばしたいのかなとか、そんなことを思います。人と仲良くなるプロトコルがよくわかりません。

1週間ほど前に、オフ会をしました。トランプの大富豪をしました。きっと私はずっとダンマリになるか、あるいは仕事用にこしらえた社交モードのスイッチを入れて愛想笑いで喋ったりするんだろうなと思っていたのですが、存外に、自然な形で話すことができました。自分でとても意外でした。

それ自体がそのまま何か救いに繋がるものではないですけれど、でもなんというか、自分でもそういうことができるのだという点で、少し選択肢の開けてくる感覚がありました。

ただ具体的にどうすればいいのかは、まだわかりません。まだ方針を立てられていません。これも引き続き考えましょう。はい。


なんかぐだぐだと書いてきてしまいましたが、だいたい以上です。

最近のこと

最近の自分の状態を「辛い」と「辛くない」のどちらかと考えたときに、どちらと言えばいいのかがわからなくて少し困る。
別に常にそのどちらかに振り分けられるとも思っていないけれども、でも今までは特に躊躇もなく「辛い」と言える状態だったから、それができないことに戸惑いを感じる。

 



仕事は辛い。
1月頃の精神的辛さのピークと比べるとだいぶ楽にはなったけれど、それでもまだだいぶ辛い。少なくとも前の職場と比べるとずっと憂鬱に思う。毎日仕事を終えては「今日もなんとか無事に終わった」と安堵するような日々を過ごしている。人に怯えながら、仕事を進めている。

この人への怯えとの付き合い方について、少し定めあぐねている。どうにかできればどうにかしたほうが、それはいろいろな場面で楽だろうと思う。
どうにかすれば精神的に楽になる、というのもそうだし、そういう怯えから今まで避けていたような選択をできるようにもなる。選択肢が増える。

でもことごとくの人が怖いというわけでもないし、ことごとくの状況で怖いというわけでもない。怖い相手、怖い状況もあるし、そうでない場合もあるし。(……ああ、こう書くとなんと当たり前のことだという感じがするけれど)

そういった中で、この怯えを抱えたままでも進んで生きていくことができるならそれでもいいか、とも思う。なんというか、支障があるなら対処すればいいし、支障がないなら対処しなくてもよい。といったことを、考えている。

……なんか、言いたいことから遠ざかった。とりあえず、もうしばらく続けてみて、これ以上悪化するようならまた病院にでも行くことを検討するのもやぶさかではないといった心持ちである。



話がぐだぐだとしている。仕事のことはそんな感じで、ある。

仕事以外のことについて。

昨年末ぐらいから、ひたすらに新しい漫画を読み漁っている(主に、百合の、恋愛漫画である)。読み漁っている、という表現が適当なのか不明だけれど。

直接のきっかけは忘れてしまったが、元々「何か趣味が欲しい」というところから始めたもので、そしてなんだかそれが存外に続いている。存外に。

そう、すごく存外な感じ。趣味が欲しい、と言いつつ、というかだからこそだけど、自分に「趣味」と呼べるようなものができるところをあまりイメージできていなかった。ゲームとか、小説とか、プログラミングといったものをやってみても、あまり続かず、いわゆる飽き性だという認識があった。

そういったことを踏まえて、今この漫画を読む習慣を続けられているのは、これは私の人生史上で大変珍しいことに思う。まだこれを始めて数ヶ月程度であり、趣味と胸を張っていう言うには少し心許ないけども。

それで、それによって変わったこと。これ、というのも難しいけれど。

たとえば、平日に毎日何か「特筆できること」が生じるようになった。今までは「今日もいつも通り何もなかった」としか毎日表すことができなかったのが。毎日、何かが私の人生に積み重なっていく感覚を得るようになった。

たとえば、暇が暇でなくなった。今まで暇なときは、ぼんやりと未読RSSエントリの消化をしたり、Twitterを眺めたりとしていた。それが楽しくなかった、というわけではないけれど、でもそれをやっても、なお暇な時間は暇な時間のままだった。暇つぶしと言いつつ、暇をつぶせてなかった、というか。翻って今は、そういうときにはひたすら新しい漫画を読むようにしていて、そしてそれをやっている間、暇という感覚はどこかに飛んでいく。


と、なんか、そんな感じになっている。

なんだろう、これ書いて何が言いたかったんだろう。なんか、とりあえず思うのは、余暇時間の密度が今までになく濃い、とでも言うか。なんというか。

楽しいか、と言われるとなかなか微妙である。面白いと素直に思える漫画はそれほど多くない。でもなんだか、余暇にやることがあることにたいへんな安心を得る。安堵する。単純に幸福か否かと問われると難しいけれども、なんとなく、嬉しい、というような気持ちがある。

はい。


……なんかたぶん次のエントリに続く。いや続かないかも。